「聴く」ことの力 臨床哲学試論 鷲田清一
今こんな本を読んでいます。
最近精神科医の先生のところにカウンセリングに通っているのですが、誰かが自分の話を「聴いて」くれるだけで頭と心が非常にクリアになるんですね。
これは発見でした。
そこで「聴く力」です。なかなかカウンセリングに通うということはハードルが高いです。しかし、「自分の中の他者」を育てて、「自分で自分の話を聴く」ということができれば心の健康に役立つのではないでしょうか?
ここで突然ですがアンケート。これは本書の冒頭に取り上げられているターミナル・ケア(終末期医療・終末期看護のことです)をめぐるアンケート、もとは医療関係者にあてたものらしいのですが、あなたならどれを選びますか?
「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」という患者のことばに対して、あなたならどう答えますか、という問いである。これに対してつぎのような五つの選択肢が立てられている。
(1)「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。
(2)「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。
(3)「どうしてそんな気持になるの」と聞き返す。
(4)「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。
(5)「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」と返す。
「聴く」ことの力 臨床哲学試論 P.13
あなたはどう言いますか? 死を前にした悲痛な訴えにことばを返すのは難しいですね。どのように答えても本当には彼の気持ちに寄り添えない、そんな気にさせられます。
アンケートの結果ですが、「聴くこと」のプロである精神科医が選ぶのは「(5)の「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」と返す」なのだそうです。この一見なんの答えになっていない返答が、唯一患者のことばを「受けとめている」、この相手のことばを「受けとめる」というのが「聴くこと」の最初で重要なことなのだそう。
なるほど。ということは、「自分で自分のことばをしっかりと受けとめる」ということに自己治癒の大事な一歩がある、と言えるのではないでしょうか。
「聴く」ことの力 臨床哲学試論 については、また読了したら取り上げたいと思います。
目次
第一章 〈試み〉としての哲学
1 聴くという行為
2 哲学のモノローグ
3 哲学のスタイル
4 哲学のクライシス
5 哲学のオブセッション
6 哲学のテクスチュア
7 エッセイという理念
8 非方法の方法
第二章 だれの前で、という問題
1 哲学の場所
2 眼がかちあうということ
3 声がとどくということ
4 なにかに向かうということ
第三章 遇うということ
1 沈黙とことばの折りあい
2 間がとれない
3 補完性
4 だれかに遇うということ
第四章 迎え入れるということ
1 ある人生相談
2 ことばが摑む、声が響く
3 だれが聴くのか?
4 ホスピタリティについて
第五章 苦痛の苦痛
1 われらみな異邦人
2 傷つきやすさということ
3 苦しみを失う
4 祈りとしての聴取
5 パックという療法
第六章 〈ふれる〉と〈さわる〉
1 ひとの脈にふれる
2 〈ふれ〉の位相
3 「さわる」音
4 音響的存在としてのひと
第七章 享(う)けるということ
1 享けるという経験
2 「時間をあげる」、あるいは無条件のプレゼンス
3 たがいの裏側
第八章 ホモ・パティエンス
1 ケアとその〈場〉
2 歓待の掟
3 homo patiens
4 意味ともつれあいながら、意味の彼方へ
5 どっちつかずと明るさと
あとがき
文庫版あとがき
解説「臨床へ」高橋源一郎